BIOGRAPHY

1995 -始動-

青森県八戸市内の高校に通う、小学校からの同級生Gミナト&Bナミオカにより、RÖUTEの前身であるコピーバンドが結成される。
結成動機は当時地元に出来たカラオケ屋で、小学校以来疎遠になっていたナミオカとミナトが再会する事に端を発する。
爆音でX、黒夢などをカラオケBOXで熱唱している内に、こみ上げてくる熱い感情とテンションには、他者を圧倒する凄まじいものがあった、と、当時のミナトは振り返る。まさに今のライブにも全く劣らないパフォーマンスでカラオケに熱中していた。
その頃、カラオケを通じて意気投合をしたミナトとナミオカの間に、ある思いがよぎるようになってくる。
「自分達で演奏して歌ったらもっと楽しいかも」である。
その頃より、それぞれ楽器を練習し始める。

1996 -RÖUTEの前身バンド「進学あきらめバンド」結成-

ミナトが通う八戸西高校の文化祭を初ライブの目標に、RÖUTEの前身であるバンド「進学あきらめバンド」結成。
Bナミオカも他高ではあったが、校舎への潜入に成功し、初ライブを強引に成功させる。バンドは黒夢、ブルーハーツのコピーを演奏していた。
当時はミナト、ナミオカは楽器に専念しており、VOが加入していた。VOは黒夢をハードコアな歌唱法で咆哮し、会場を震撼させたのだった。
進学校でありながらその体制への挑戦状を叩きつけたバンド名は、教師、在校生を巻き込み、話題の的であった。
アンチ大人社会がテーマの一つでもあるバンドスタイルは、この時既に形成されていた。

1997 -バンドの崩壊→活動拠点を八戸から東京へ-

その後VOのメンバーチェンジを何度も繰り返しながら八戸のライブハウス、地元の納屋で自主制作ライブを敢行するなど活動をするも、Drミオコが上京して就職する為にバンドを脱退。
バンドで紅一点であり、サウンドの支えを欠いたバンドは空中分解を余儀なくされる。
ミナトが皆の期待を裏切り進学。上京し、メンバー探しとセッションに明け暮れた為、一年間固定バンドでの活動はしていない。
ナミオカは地元に残り、同じくメンバー探しとセッションに明け暮れる。

1997.12 -RÖUTE結成-

1998.1 -第一期 Gミナト Bナミオカ VOナカヤマ Drユージ-

LAガンズ、モトリークルーなど80年代メタルのコピーとオリジナルを混ぜながら、荻窪のライブハウスでRÖUTE初ライブ。
二十歳そこそこになったばかりであったミナト、ナミオカではあったが、30代の多くのメタルマニアが固定ファンとなり、「80年代の華やかさと日本の歌詞をヘヴィに融合させた、今までにないバンド」と絶賛を受け、少ないライブ数で第一期は終わるものの、上々の滑り出しと評価を受ける。
世代を問わずファン層を拡大すべく、老人ホームに慰問ライブをも敢行する。
数回のライブ後に、VOナカヤマが脱退。

1999.1 -第二期 Gミナト Bナミオカ VOイズミダ Drユージ-

完全オリジナルに移行し、高円寺で活動を再開。
当時横行していたミクスチャーに感化されたVOイズミダの加入により、RÖUTEの歌にラップが導入される。メタルマニアなファンからは否定的な見解はあったが、流行にも乗り支持者も多数に上る。
数回のライブ後に、Drユージが限界を感じた、と脱退。
ラップを追求するVOイズミダと、フォロワー的な流行り物を拒絶するミナトとの間に確執が生じ、VOイズミダがその後脱退する。

2000.1 -第三期 Gミナト Bナミオカ VOツヤ Drリットル(ヘルプ)-

ミナトの級友のVOツヤ、Drリットル(ヘルプ)を迎え、第三期RÖUTEを再開。
VOツヤが持ち込んだ強靭な喉から発せられる咆哮と、ヘルプではあったが、DEATH、グラインドコアの洗礼を受けたリットルの重厚なドラムにより、最もヘヴィネスな時期はこの頃であった。都内ライブハウスで月3本ペースでのライブ活動を行う。

2000.10 -第四期 Gミナト Bナミオカ VOツヤ Dr伯爵-

その後Dr伯爵が加入。感情が如実に表れる気迫のステージは、気合重視のメンバーと意気投合。最速のツーバスで伯爵の右に出る者は当時誰もいなかった。フロントマン達の士気を大いに高める事となり、更に音圧は増したのだった。
乗りに乗っていたRÖUTEは、来日バンドのオープニングアクトに数回起用され、大成功を収める。
この頃八戸へ凱旋ライブをも敢行し、こちらも大成功に終わる。

2001.1 -第五期 G&VOミナト B&VOナミオカ Dr&Cho伯爵-

更なるアバンギャルドなスタイルを求め、ツインヴォーカル、3ピースバンドへと、方向転換をする。第一弾デモテープ「暴走国道」がレコーディングされ、RÖUTEの代表曲6曲が音源として完成。
キャッチーなリフと刻みの融合が印象的な「最期の階段」や王道スラッシュを意識した「FUCKIN’ FATE」はRÖUTEの処女作であり、「この野郎」で発せられる大人社会への批判、「完全燃焼」で締めくくる4字熟語な日本語歌詞も、RÖUTEにしか出来ない音、RÖUTEにしかかっこよく出来ないスタイル、とデモテープを聴いたファンにより絶賛を受ける。
バンドのスタイルがほぼ確立した感のあるデモテープを引っさげ都内で精力的に活動。動員も着実ではあるが増えていく。
激しすぎるヘッドバンキングが業界関係者の目に止まり、幾多のテレビ出演依頼を受ける。(一度ぷっすまという番組に出演したが、それ以降の出演依頼は、多忙につき出演拒否)
動員数を増やしつつ、更に先を目指そうとするも、Dr伯爵が一身上の都合により脱退。活動休止になる。

2005.1 -第六期 G&VOミナト B&VOナミオカ-

サポートDrを迎え復活。
コンスタントな活動ではなく、イベント参戦という形でLIVE活動を都内で展開。

2005.7/12 -八戸七夕祭り出演-

2007.3/1 -復活第一弾シングル完成-

2014.11 -第七期 G&VO MINATO B&VO なみおか Dr カネコ-

Drカネコ加入。池袋にてスタジオ入り。

2016.2/10 -本格再始動-

池袋マンホールでの初ライブを皮切りに、本格的に活動を再開。

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